坂口安吾の小説のタイトルですね。信長を扱ったヤツ。安吾も信長も好きでしたので、この言葉も十代の頃から妙に好きでした。イノチガケ、ね。
今日、クラブに行って、「マスターズニュース」という機関誌を見ました。先日のジャパンマスターズの特集でした。華々しいご老人達(不思議な言葉だね)の活躍ぶりが一杯載っていました。水泳界、アンチエイジングの塊です。…と、最後のページに「訃報」とありました。読んで、びっくり。今回のジャパンマスターズで、69歳の方がレース後、シャワー室で急性心不全で倒れて亡くなったという記事でした。最後に冥福を祈る一文が載っているものの、その前の文は「…今年もジャパンマスターズ大会に参加することを楽しみにがんばっておられました。」です。なんと、全く悲壮感がない!明るい?「訃報」であることか…
なるほど、もう、「趣味」ではなく、みな、イノチガケの道楽なのだな、と妙に共感したりもしました。(『バガボンド』だって、誰が斬り殺されようが、それで剣をやめるヤツはいないもんなぁ…ってヘンな類比かな。)
棋士の内藤圀雄著『名勝負師は言い訳をする』にこんな一節があります。
「人間は死んだ瞬間にいくらか体重が軽くなるもので、それは去っていった魂の重みだと言う人がいる。もしそうだとすれば負けたときは魂をすり減らしているのかも知れない。将棋というものは優勢でも最後の最後まで息を抜かない。悪い将棋も親指一本でうっちゃってやるーこういう気持ちをなくすと黒星ばかりが並ぶことになる。勝負にあっさりしだしたら勝率は確実に下がる。勝つためには精魂を傾けなければならないのである。強靱な大山さんでさえ、そのために生命を早めたという気がする…」
名人に簡単に同意するのは僭越でしょうけど、私ごときでも、いつもレースの最後の数メートルは、ツメの先でも速くゴールするために、それはもうイノチガケです。この、なくなった方もきっとそうだったのでしょう。そして、精魂尽きたのでしょう。
この「訃報」記事を読んで、これからはほどほどにしようとは私は全く思いませんし、そう思う人はあまり親密につきあわないタイプでしょう?(いーよ、べーつに~オメーなんかって?まあまあ。)
私は、日常生活の中に「イノチガケ」があることが、嬉しいのです。もちろんシゴトもイノチガケのつもりはありますが、それは比喩みたいなものか、あるいは長期的なものであって、文字通り「その瞬間にイノチガケ」というものではありません。
私は「職業人」や「地域人」などなど、いろんな「役割」を生きています。その中で、「男」「動物としてのヒト」として生きられるのが、この水泳での勝負なわけです。イノチガケでの勝負によって、野性の魂が歓喜する…チョー大袈裟にいえばそんなことなのです。
小さな記事に触れ、こんな講釈まで垂れることになろうとは…の巻でした。
イノチガケ…
*今日もパソコン殿はやや不調。明日は知れぬ身です…
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